2月15日、バンコク市内の騒動を避け、
試合会場を遠隔地のタマサートスタジアムに移して
「ブリラム対名古屋グランパス」の公式練習試合が行われた。
試合は終始ブリラムペースで進み、名古屋はなかなか良い形に持っていけない。
すると試合前半15分、ブリラムの人気選手Jay Simpsonが
鮮やかにシュートを決めてブリラムが先制。
昨年、アジアチャンピオンシップでベスト8に輝いた実力を見せた。
一方、グランパスは楢崎、トウリオ、ダニルソン、小川などの主力の動きが鈍い。
ケネディは決定機を外すなどして玉田と交代する有り様だった。
しかし41分、名古屋はコーナーキックから練習生の大武が貴重な得点をあげる。
後半に入ってもブリラムの運動量は衰えない。
ブリラムの日本人選手平野(背番号19)も随所にキビキビしたプレーを見せた。
試合は共に決定機を外すなどイライラがつのり、両軍合わせて9枚のイエローカード
(ブリラム4枚、グランパス5枚)が飛び交う荒れた試合となった。
試合は結局ペナルティキック戦に。
最後はペナルティキック戦を制したブリラムの勝利で終わった。
(写真は名古屋グランパスホームページから)
ブリラムユナイテッド 名古屋グランパスに勝利2014.02.17
新大統領 ⁈2014.02.16
ステープ氏
・・・・PDRCリーダー、デモ隊リーダー、
民主党政権時代の副首相兼内務大臣
主な主張
1.タクシン元首相の影響力徹底排除
2.インラック現首相の退陣と政権の移譲
3.選挙の実施阻止、選挙によらない「人民会議」が
政権の受け皿となる
4.人民会議は国民各階層から選ばれた人々で構成される、
ただしタクシン派は除く
5.人民会議のメンバーは国王の選任による
6.タクシン派の影響力が国政の全てで排除された後に選挙を実施する
7.いかなるタクシン派の人間とも一切の話し合いには応じず、
要求が通るまでバンコクの主要な施設、道路を閉鎖する
(写真はタイの英字新聞The Nationから転載しました)
【Wikipediaの人物紹介】
ステープ・トゥアクスパン
1949年生まれ。タイ南部のスラートターニー県出身。
チェンマイ大学政治学部を卒業後、アメリカに留学し、ミドルテネシー州立大学で政治学修士を取得した。
帰国後、村長(ガムナン)であった父親の後継候補として、26歳のときに村長選に出馬し当選した。
1979年、下院選にタイ民主党から立候補し初当選した。
その後、下院選に9回連続当選し、農相(1986年-1988年、1992年-1994年)、運輸相(1997年-2000年)などを歴任する。
2005年から民主党幹事長に就任し、2011年まで務めた。2008年からアピシット・ウェーチャチーワ政権で、治安担当の副首相に就任した。
アピシット政権では、国内の政治的混乱による国民の不満を外にそらすため、
強烈な国粋主義・民族主義にもとづく露骨な強硬外交を掲げ[1]、
2011年に領土問題を抱えるカンボジアの攻撃を強行し、住民を巻き込んだ武力紛争を引き起こした。
この紛争により、双方の兵士や住民ら30人近くが死亡し、100人以上が負傷した[2]。
また、政権への批判は国王への反逆とみなし、国家警察や国軍などを動員して厳重な統制を行った。
2010年5月19日、同年3月よりバンコク都内において、
総選挙の実施を求めるデモを展開していたタクシン元首相派の反独裁民主戦線(UDD)の市民デモ隊に対し、
治安担当の最高責任者として国軍を投入する武力鎮圧を指揮し、多くのタクシン元首相派の市民を虐殺した[3]。
この一連の衝突で、ロイター通信の村本博之カメラマンを含む一般市民90人以上が死亡し、
2000人以上が負傷した(暗黒の土曜日事件)。
検察当局は、ステープが治安部隊に実弾使用を許可したとして、2013年10月28日、殺人罪などで起訴した[4]。
議会制民主主義を否定しており、民主党の一党独裁による「人民評議会」や、
利益団体の代表による「人民議会」の設置を主張している。
これについて、国際社会からはファシズムであるとの批判の声が上がっているが、
「タイでは欧米諸国のように選挙が国民の意見を反映させる最終回答ではない」との持論を展開している[6]。
Nokのチェンマイ通信『中国正月』2014.02.04

朝6時、ものすごい連続爆音で目が覚めた。
何事が起きたんだろう。
そうか、今日は春節。
中華街まで歩いて10分ほどのところに住んでいるだけあって、
爆竹の嵐。
普段は、バイク・車・人が縫うようにしている細い道も、
今日は屋台がぎっしり。
大好きな中華おこわをほおばりながら、
今年2回目のお正月を楽しみました。
デモ隊ファッション2014.02.01
バンコクのデモ隊は参加人数が激減して混迷している。
しかし、リーダーのステープ氏は2月2日の下院議員選挙投票日は全ての投票所で 投票妨害と閉鎖をすると表明。
混乱が予想されている。
旅行者の数はがた減りで、スリオン通りなど普段観光客で賑わう 繁華街も驚くほど静かで人通りが途絶えている。
観光業の損失は11月からのデモ騒ぎで100億バーツに達すると言う。
デモ隊のファッションはエスカレート、
人気の笛は20バーツ、シャツでは1500バーツを越すものも売られていて、
閉鎖された道路ではショッピングを楽しむ人で賑わっている。
デモ隊には飲み物、食べ物、医薬品などが無料でサービスされている。
1日500バーツ以上の日当が支給されていると言う噂も聞く。
昼・夜とも有名バンドの演奏会があり、
デモに参加したことのあるPPFCスタッフに聞いてみると
「楽しかった」との事だ。
(写真上は英字新聞BangkokPostから転載しました)
タイのインテリ層 選挙妨害支持(⁈)2014.01.29
【タイ】26日に行われたタイ議会下院総選挙(投票日2月2日)の期日前投票は反政府デモ隊の妨害にあい、バンコクや南部で投票会場の多くが閉鎖に追い込まれた。
この問題について、米国務省のジェン・サキ報道官は26日、タイの政争で米国は中立的な立場をとるとしつつも、「タイでの投票の妨害行為に米国は深く悩まされている」、「表現の自由や平和的な抗議の権利を強く支持するが、市民が投票する権利の妨害は普遍的な権利の侵害で、民主主義の価値と適合しない」と述べ、反政府デモ隊を批判した。
今回の反政府デモは反タクシン元首相派の野党民主党が主導し、民主党の地盤で、タイ国内で所得や教育水準が比較的高いバンコクと南部で起きている。デモの目的はタクシン元首相の汚職利権構造の排除、タクシン派インラク政権の打倒、総選挙の阻止、超法規的な新政権の設立、政治改革などで、バンコクの主要交差点を占拠したり、政府庁舎を封鎖するなど、非合法、非民主的な手法、主張が目立つ。こうした主張を、一流国立大学の教員の大半が支持するなど、インテリ層が支持していることがタイの特徴だ。
デモ隊側の法治、民主主義に対する意識は総じて低く、政治改革の具体的な内容や達成方法もあいまいなまま。選挙の阻止や非民主的な政権発足を掲げるデモに対し、欧米メディアの多くは批判的だ。タイの有名大学教授らデモの支持者はこうした報道に対し、「タイと外国は違う」「外国人はタイのことをわかっていない」などと反発している。
こうした現象は、インテリ層の間でタイ王室への敬愛が強く、王室に敵対するとされるタクシン元首相の排除に一種の宗教的情熱が沸き上がっていることが原因とみられる。また、タイが植民地支配を免れた結果、前近代的な制度、意識が残り、タクシン派と反タクシン派の政争や、非理性的、非論理的な「インテリ層」を生む原因となったという見方も浮上している。
(記事は1月28日付けBeClipより転載いたしました)
(写真はアソーク交差点を封鎖し、気勢を上げるデモ隊)
Nokのチェンマイ通信『日本祭』2014.01.18

先日、チェンマイ大学人文学部日本語学科による
『日本祭』に行ってきました。
> 餅つき、書道、生け花 更には浴衣の着付け記念写真。
規模的には地味ではありましたが、
ほのぼのとした交流に笑みがこぼれました。
> それにしても、チェンマイ大学の構内、
初めてゆっくり歩きましたが、湖あり噴水ありで自然満喫。
タイ情勢を知る手だて2014.01.13
新年から、タイのデモ騒動について「どうなってるのか」との問い合わせをいただいています。
Yahooに昨年12月25日付けで発表された「The Page」の河野嘉誠記者 の解説記事を転載させて頂きました。
拓殖大学の甲斐信好教授の説明を引用しながら分かり易い解説記事を発表しています。
どうぞご参照下さい。
【選挙を拒否する反政府デモ】
タクシン政権が退陣した2006年以降、タイの政治は「黄シャツ」と「赤シャツ」の対立として語られることが多い。
「黄シャツ」は、バンコクを中心とした既得権層により構成される。
野党・民主党を支持し、「反タクシン派」とも呼ばれる。
今回の反政府デモを担っているのも「黄シャツ」の人々だ。
これに対し、東北タイを地盤とし、農民や労働者などから構成され、
タクシン政権時代の諸政策により恩恵を受けたのが、「赤シャツ」といわれる人々だ。
タイの国民の半数以上は農民だ。タクシンは首相在任中、農民や貧困層に対し手厚い保護をした。
「黄シャツ」は、こうしたタクシンの政治手法を「ポピュリズム」と批難する。
タクシンの妹・インラック首相のコメの買い取り政策も、国庫を圧迫する「バラマキ」との批判をうけている。
しかし、「黄シャツ」は、圧倒的多数を占める「赤シャツ」に選挙で勝つことはできない。
それゆえ、タクシン政権を崩壊させた2006年も、軍のクーデタという形をとらざるをえなかった。
一般に、反政府デモとは「民主主義」を希求し「自由で公平な選挙」の実施を求める運動だ。
しかし、タイの「反政府デモ」は選挙を拒否している。
今回のデモで反政府側指導者を務めるステープ氏も、
インラック首相の即刻辞任と「総選挙を経ない政権委譲」を要求している。
このある意味、異様な「反政府デモ」の背景について、
「タイの構造的な社会階層対立」があると分析するのは、
比較政治学が専門で東アジアの民主化に詳しい甲斐信好拓殖大学教授だ。
「タイの政治を伝統的に動かしてきたのは官僚や貴族といった上流層の人々だ。
彼らは、1932年の立憲革命に象徴されるように、絶対王政を廃し、民主化を進めた。
しかし、彼らはタイ国民の半数以上を占める農民層まで巻き込んだ『民主化』は求めなかった。
タイの政治を伝統的に担ってきた上流層が、『黄シャツ』として現在まで存続している」。
インラック首相は今回の一連のデモを受け、下院の解散と来年2月の総選挙を確約した。
だが、反政府側は今月21日に総選挙のボイコットを表明するなど、
インラック首相の申し入れを受け入れる様子は見られない。
【千日手のタイ政治】
甲斐教授は、インラック首相に手詰まり感があると指摘する。
「問題は二月の選挙が実施できるかということだ。
タクシン派が勝利した2006年の総選挙で、野党側は欠席戦術に出た。
あろうことか憲法裁判所はそれに対し、『野党が参加しない選挙は無効』という判決を出した。
今回も野党側は選挙のボイコットを表明している。
2006年のような事態になる可能性がないとはいえない」。
タイの司法は必ずしも中立ではない。
選挙に際し、2006年のように黄シャツ側におもねる判決を出す可能性もある。
しかし、黄シャツ側にしてみても、手詰まり感は変わらない。
選挙が実施された場合、負けは確実だからだ。
「タクシン派」が政権をとれば、「黄シャツ」がデモをおこす。
「反タクシン派」が政権をとれば、「赤シャツ」が座り込みを始める。
タイで2006年以降繰り返されてきたこの状況を、甲斐教授は「千日手のタイ政治」と形容する。
「千日手」とは将棋の用語で、お互いが同じ手を繰りかえし、局面が進展しないことをさす。
【国王の演説でも収束せず】
タイはクーデタの多い国だ。1932年の立憲革命から1992年の民主化に至るまで、
約3年に一度のペースで繰り返されてきた。しかし、それでも「無政府状態」にならなかったのは、
国王の存在があったからだというのが甲斐教授の見方だ。
「タイは立憲君主国なので国王は政治的に中立だ。
しかし、クーデタなどで三権が機能しなくなった場合、
国王が政治に関与することが憲法的にも認められると考えられている。
これまでのクーデタでは最終的に国王が認めた方が勝ちになり、
負けた方は無事に国を出て行くという原則があった。
タイの政治にとって、国王は最後の安全弁だった」。
プミポン国王は今回のデモに際しても、誕生日である12月5日の演説で国民に「団結」を呼びかけた。
しかし、反政府側は6日からデモを再開した。
慈善活動にも意欲的に取り組み、国民から愛されるプミポン国王。
その現国王をもってしても、92年のようにデモを収束させることはできなかった。
「『都市と地方』、『富裕層と貧困層』という開発途上国の典型的な対立が、
タイでは『王室』という共通項でバランスが保たれていた。そのバランスが崩れる危険性がある。
現国王の強力な政治権力は、政治的な要請として制度的に作られた部分と、
現国王の個人的魅力により形成された部分の両面がある。
王室が最終的な安全弁になるという政治システムをどう移行するかが問題だ」(前出・甲斐教授)。
プミポン国王も86歳を迎え、最近では入退院を繰り返している。
「最終的な安全弁」が効かなくなったときに、民主主義の原則が守られるような社会が形成されていなければ、タイの政治は混沌におちいる。
「千日手」を止めるために残された時間は、長くはない。
(写真はタイの英字新聞BangkokPost紙から転載しました)
バンコク シャットダウン・日本大使館警告発表2014.01.09
昨年の11月から続いている反政府デモの指導者ステープ氏は
1月13日、バンコク市内の主要な交差点など20ヶ所を
通行できないように閉鎖し、バンコクをシャットダウンすると表明している。
候補地域は以下の通り。
Mr Suthep named the 20 intersections:
1) Uruphong 2) Charoenpol 3) Hua Lamphong 4) Bang Rak
5) Silom 6) Sam Yan 7) Phaya Thai 8) Ratchathewi 9) The Victory Monument 10) Siam Square など他10カ所
ステープ氏は軍の幹部数人と接触していることが報じられている。
在タイ日本大使館は以下の「注意勧告」を出しています。
〜大使館からのお知らせ〜
* ขอความกรุณาส่งมอบประกาศจากสถานเอกอัครราชทูตญี่ปุ่นประจำประเทศไทยฉบับนี้ให้แก่ชาวญี่ปุ่นด้วย
2014年1月7日現在
1月8日のデモの呼び掛け及び13日以降の反政府勢力によるバンコク都内の閉鎖(Shutdown)
1. 6日(月)、反政府勢力は、1月13日(月)以降バンコク都を閉鎖(Shutdown)するとして、同日午前9時から、アソーク交差点、ラチャプラソン交差点、戦勝記念塔等バンコク都内合計7ヶ所にステージを設けて、活動拠点(別添)とする旨の声明を発表しています。
2. また、同勢力は、8日(水)午前11時30分から午後1時30分までの間(予定)、BTSアソーク駅前で13日のデモへの参加を呼び掛けるための集会を行う予定です。
3. 活動拠点付近では、激しい交通渋滞が予想されますので、お出掛けの方は十分ご注意下さい。また、不測の事態の可能性も全く無い訳ではないので、今後とも報道等を通じて、最新情報の入手に努めるとともに、お出掛けの際には、活動拠点、抗議行動、デモ集会等の予定されている地域の周辺には、出来るだけ近づかない等、自らの安全確保に十分注意して下さい。
写真と英文記事はBangkok Post紙(タイ国内の英字新聞)から転載。
Nokのチェンマイ通信『謹賀新年』2014.01.04

明けまして、おめでとうございます。
年末のカウントダウンは『あんぐりNok』に変身し、
元旦は、お節もどきとお雑煮で新年を迎えました。
やはり、日本人はお雑煮、なんていったってお雑煮!
今年も、どうぞよろしくお願い致します。
いつまで続くタイのデモ2013.12.19
バンコクでは最近、日中の温度が20度以下の冷え込み(‼︎)
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