バンラート農協ってどんな組織?
バンラート郡の中心には時計台がある小さな交差点とその周辺にわずかな商店街があるだけ。夜の繁華街などはもちろんありません。農協の事務所はこの商店 街の一角にありますが、この郡における農協の地位を象徴するかのようにその構えは立派なもの。そして何よりもこの小さな街のたたずまいに似つかわしくない ような広大な農産物卸売市場が農協によって運営されているのです。
農協の歴史は1940年に遡ります。この年バンラート郡内で行政の働きかけを元に28の小さな共済組合が誕生しました。 その後1952年に32まで増えた これらの共済組合が合併されて出来たのがバンラート農協です。75年にバンラート土地組合を吸収合併し、 現在に至る農協の基盤が確立しました。75年当時 の組合員数は1,401世帯でした。その後農協は行政の補助を受けながらも着実に事業基盤を拡大し続け、 精米所・米保管倉庫、家畜飼料配合施設、給油所、 農産物卸売市場などを建設・運営してきました。そうした実績が評価され、89年、92年、93年の3度に渡り、 行政から優秀協同組合賞を受賞しています。
2012年3月末日現在、組合員数は8,023世帯、出資金総額は1億252万バーツ、事業高は2億2672万バーツ、資産総額は9億3320万バーツ余りに達しています。
バナナ事業の経緯
バンラート郡は古くから稲作、果樹栽培が盛んな農業地帯。バナナ栽培も伝統的に無農薬で栽培されてきており、それまではバンコクを中心にした国内市場への出 荷がメインでした。 バンラート農協が組合員が作ったバナナを集荷し、日本向けに出荷し始めたのは96年9月。先行して94年に輸出が始まっていたラメーで の生産量が日本での需要に間に合わず、 PPFCが同農協に取り組みをもちかけました。ただ取組開始直後の96年10月には、バンラート地区が多雨による洪 水で浸水、 さらに97年4月には突風によるバナナの倒壊など度重なる天災被害にバナナ生産も大きな影響を受け続けてきました。 それでも根気強くバナナ生産 に従事する生産者が日本向けのバナナ栽培を続けてきました。当初同農協のバナナは主として東海地方の生活協同組合などを相手に出荷されていましたが、 様々な事情があって量的には伸び悩んでいました。

そうしたところへ99年7月、東京首都圏を中心に40万世帯の組合員を有する首都圏コープ事業連合代表がバンラートを視察、 9月に同連合に向けて第1回目のバナナが出荷されました。11月同事業連合との提携関係を強化するため、バナナ生産者協議会が農協内部に発足。 2000年7月には、同連合会、農協、バナナ生産者協議会の3者間で今後の事業推進の目標と課題を明確にした「共同宣言」、「覚書」への調印が行なわれ、 今後のバナナ国際産直事業の位置付けを明確化しました。
首都圏コープとバンラート農協は単なるバナナの取引ではなく、「人と人との交流」を重視した関係を維持・発展させるためその後最低年一回ずつ、 相互に訪問団を派遣して交流を行なって います。 2004年9月には産直協議会が設立され、この交流活動の推進に大きな役割を果たすようになっています。 2003年10月にバンラート一帯を襲った30年ぶりの大洪水は、生産者協議会会員のバナナ圃場に深刻な被害をもたらしました。 発足間もない産直協議会は、被災したバナナ生産農家の生産基盤復興を支援する目的で資金援助を行ないました。
BMW技術の導入

首都圏コープ事業連合はバナナ取引だけでなく、有機農業生産にとって役立つ技術をバンラート農協に紹介することで地域農業の発展にも寄与しようとしています。
BMW(バクテリア・ミネラル・ウォーター)技術はその中の一つで、2000年7月に行なわれた基礎調査を皮切りにその後数度に渡る調査・話し合いが行なわれた結果、
バンラート農協にこの技術を導入することが決定しました。この技術は地域で発生する産業廃水、農 畜産業廃水、生活廃水などをバクテリアの作用で浄化するプラントを造成し、
そのプラントで浄化された水や汚泥などを再生利用していくものです。特に生物活性水と呼ばれるこの浄化水は、日本国内では農畜産業部門への再利用で、
悪臭公害の軽減や農業生産率の向上、土壌改善などすでに一定の効果を挙げています。タイ国内初のケースとなるバンラートへの導入では、
農協組合員が経営する養鶏場にプラントを造成することになり、2001年7月に完成しました。この動き にはタイ政府も注目し、
開所式当日には農業・協同組合省から要人が出席しました。このプラントは首都圏コープ、バンラート農協、BM技術協会、
PPFCが設立したプラント協議会が運営・管理して政府機関や周辺農家などと共同で様々な実験を展開、生物活性水が日本とものと同様に効果をもたらすことが確認されています。
その後プラント協議会はタイ環境保全型農業推進協議会へと発展的に解消、2004年3月にはBMW技術をタイ国全域に普及させることを目的にサイアム・タクミ社が設立されるに至っています。
(BMW技術の詳細についてはこちら。)
公開確認会開催

2004年10月には首都圏コープにとって海外初めてとなる公開確認会をバンラートで開催しました。 公開確認会とは首都圏コープ事業連合がこの間日本国内の産地を 中心に開催してきたもので、生産に関する情報を消費者に開示し、 合意した通りに生産活動が進められていることを実地に検分してもらうことを通じて消費者・ 生産者相互の信頼関係・友好関係を発展させていくことを目的にしています。 今回の公開確認会には日本から監査人12名を含む総勢40名が参加し、無農薬バナナの栽培と出荷の現場を視察したほか、 栽培・出荷の管理体制についても書類の監査や生産者側代表者によるプレゼンテーションなどを通じて確認しました。 「環境保全型農業の構築を通じた生産者・消費者双方の暮らしの安全と安定実現」という共同宣言・覚書の趣旨が、 その具体化に向けてどの程度進展しているか が監査の焦点でした。もちろんたくさんの課題が確認されましたが、 監査人の皆さんは農協とバナナ生産者協議会がこの間この趣旨実現に向けて着実に努力していることを確認しました。
新体制
2005年、首都圏コープ事業連合は「パルシステム生活協同組合連合会」に改称しましたが、バンラート農協との関係は継続的に発展してきました。バンラート農協・首都圏コープ産直協議会は、その後トゥンカーワット農園経営農民会も入会するに至って、タイ・パルシステム産直協議会へと改称、相互交流も同会の生産者などが加わって質量共に充実度を増してきています。
2008年3月、それまで20年以上の長きに渡って農協参事を務めてきたチャウィ・ジャイヤイ参事が定年のため勇退、その後継者として内部からシリチャイ・ジャンナーク新参事が就任しました。ほぼ時を同じくしてバナナ生産者協議会会長にはフーン・プーンソムバット元組合長が就任、同会長は組合長時代に何度もパルシステムの招聘で訪日、自身も熱心なバナナ生産者で、バナナ事業の取組への理解と積極性は折り紙つき。こうしてフーン会長とシリチャイ参事との二人三脚体制がスタートしました。
新体制発足後、バンラート農協のバナナ事業は飛躍的に拡大します。新規加入生産者と新規作付の数が急速に拡大、生産地域もペッブリ県全域に広がってきました。
2011年9月には月間出荷量としては過去最高となる129トンを出荷するに至りました。しかし近年では毎年のように襲う突風による被害や洪水のリスクなどが生産を脅かす状況は解決されておらず、通年で安定した生産を行なう体制が確立されているとは言えません。この結果ここ数年は乾季の一時期(12月~2月頃)にかけて生産量が急激に落ち込む傾向が見られ、農協としてはその打開のためにこの時期の生産者買取価格を引き上げるなどの措置を導入し始めています。
2012年10月現在の生産者数は156名、作付圃場数は243圃場、作付本数は18万4000本余り、2011年通年の出荷量は664トン(1月~12月)となっています。