チュムポン県サウィ郡はタイの首都バンコクから南へ約500キロの位置にあります。タイの国はちょうど象の頭のような形をしていますが、象のお鼻のちょうど真ん中辺りになります。南北に長いチュムポン県ですが、サウィはちょうどその真ん中に位置しています。私たちのバナナ産地の一つであるチュムポン県無農薬ホムトンバナナ生産組合の活動拠点がこのサウィ郡です。
組織の沿革

組合が正式に法人認可されたのは2004年5月のことです。ただしそれ以前から任意団体としてバナナの生産・出荷活動を展開していました。サウィ郡から南西に約50キロほどいったところにパトという郡がありますが、任意団体ははじめはここを拠点とし団体名も「パト・ホムトンバナナグループ」と称していました。発足したのは2002年4月、発起人となったのはそれまで隣のラメー郡で日本向けに無農薬栽培バナナの栽培・出荷事業を展開しているトゥンカーワット農園経営農民会にバナナを出荷していた生産者たちで、地理的に同郡と離れていて毎回の出荷に支障が生じていたことや、周辺住民のバナナ栽培に対する関心の高まりなどを受けて、独立して自分たちで組織を作る方針を決定しました。

発足当初は約40名のメンバーで構成されていました。グループとして初めてバナナを出荷したのは同年9月、当初はトゥンカーワット農民会から移籍した生産者たちのバナナがメインでした。翌03年2月には会員たちが文字通り手弁当で造ったパッキングハウスがめでたく完成、日本からも生協関係者などが駆けつけて盛大な開所式が行なわれました。
ただバナナの生産量はその後伸び悩み続けました。新しい会員が新規に作付けしたバナナの多くが生育不良で収穫不能になってしまったからです。バナナの本格的な栽培が初めてだった生産者が多く経験不足だったこと、その年の雨季が例年にも増して多雨で苗が根腐れを起こしてしまったことなどが原因でした。2003年を通じ、お隣のトゥンカーワット農民会では週15~20トンを出荷していたのに対し、グループの出荷量はわずか1~2トンに留まっていました。
2004年3月には日本側から農業の専門家を派遣して全圃場調査を行ない、消費者サイドも加わっての栽培改善に向けての努力を開始しました。栽培技術研究会が組織内部に設立され、圃場見学や栽培技術情報の交換会などを行なってお互いの栽培技術のアップに取り組み始めました。そうした努力もあって生産量は週4~5トン程度までアップしてきましたが、組織の運営を支えるに足る収益を上げるにはまだ十分とは言えませんでした。それでもこの時期に協同組合化に踏み切ったのはまがりなりにも生産量の増加が実現して今後の事業拡大に明るい兆しが見え始めたことと、将来事業を本格的に推進していく上で法人認可取得は避けて通れない道であるとの執行部の判断によります。
生産拠点の移転
しかし前途は多難でした。組合では法人認可後、行政に働きかけてパッキングハウスの電源設備改善(冷蔵庫の稼動に必要な高圧電源の導入)を目的とする補助金を申請しましたが、2005年3月になって補助金が却下されることが明白になりました。このために将来の恒久的なパッキングハウスを求めて地所探しを行ない、従来の場所からそう遠くない区役場の管理地を借り受けることになりました。新しいパッキングハウスは輸出元になっているPPFCが設備投資を担い、また出荷量不足で採算が取れない出荷作業についても当面は同社が管理運営する形を取ることにしました。
一方伸び悩み続ける出荷量については生産基盤の抜本的な見直しを進めることにしました。パト郡でバナナ栽培を行ない、失敗してしまった生産者の多くが組合を離れる中で、サウィ郡に在住する多数の農家が組合に加入してきました。この地域では古くからホムトンバナナを国内市場向けに栽培してきており、新規加入した農家の多くは栽培経験を持っていました。トゥンカーワット農民会や組合の取り組みについても以前から耳にしており、仲間に加わりたいとずっと機会を伺っていたのだといいます。組合員の脱退が続き生産基盤と組織基盤の崩壊の危機に瀕していた組合にとって、それは正しく「渡りに舟」だったのかもしれません。こうしてサウィに在住する50余名の農家が新規加入するに及んで、組合は息を吹き返したのです。これに伴い実質的な生産拠点はパトからサウィへと移ることになりました。
新体制
2005年9月に行なわれた年次総会で任意団体の立ち上げ以来組織を引っ張ってきた執行部が勇退を表明、役員改選が行なわれサウィ郡の生産者グループのリーダーが組合長に就任、同年11月には同郡内にパッキングハウスを建設、同時に組合の本部もここに移転しました。ここに至り組合の活動拠点は名実共にサウィ郡に移りました。
2006年には創立以来最多となる360トンを超える出荷量を達成、生産拠点の移転は組合にとって望ましい結果をもたらし始めました。ただしその後はサウィ郡を襲った突風被害の影響もあり、出荷量が減少してきています。
2012年10月現在の生産者数は74名、生産圃場数は96圃場、作付総本数は13万550本余りとなっています。2012年9月に開催された年次総会に報告された組合の年間事業高(2011年5月~2012年4月)は640万バーツ、資産総額は60万バーツ余、バナナの出荷総重量は357トンです。
小さな組織ながら組合員の固い団結で数々の苦難を乗り越えてきた同組合。今後も天候不順による生産不安とも闘いながら厳しい組織運営が続きます。しかし常に笑顔を絶やさない組合員生産者に支えられながら、組合が着実に発展していくことを確信します。
役員名簿(2012年12月現在)
組合長 | プラスート・ポンプルクサー(任期2013年4月まで) |
---|---|
副組合長 | パイブーン・クープラスート(同上2014年4月まで) |
理事 | マナサナン・ヌッニヨム (同上2013年4月まで) |
理事 | ナリヤー・ジンディー (同上2013年4月まで) |
理事 | スピット・スワナラット (同上2014年4月まで) |
理事 | ソムポーン・ルアンジャン (同上2014年4月まで) |
理事 | スマーリー・パットハーン(同上2014年4月まで) |